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| 1985年事故の為三ヶ月余り入院。少し反省してマジメな学生に戻る。 1986年夏、フランスに渡り、巨匠ユゲット・ドレイフュスの元で学ぶ。当時のドレイフュス門下には現在のフランスバロック音楽を担う優秀な若手が勢ぞろいしていた。このクラスではラジオフランス(フランス国営放送)の取材があった。何とわたくし、殆どフランス語が話せないのにインタビューされてしまう。「あ、ワタシ、えーとアンブルグに、えーと、から、来たとき、えーと・・・・」こんな感じ?まさか放送されると思わなかったが、しっかりと放送され友人に録音されてしまう。ラジオ初出演。(モチロン、ちゃんと演奏も放送されましたが・・・) |
| 1986年秋からハンブルクを中心にチェンバリストとしての本格的な演奏活動を始める。又この年から北ドイツ放送局でアルバイトを始める。仕事は多岐にわたり、公開演奏会の譜めくり、マイクセッティング、録音アシスタント、チェンバロの調律、テープライブラリーの整理などなど。そしてチェンバリストがいない時は演奏までしてしまった。これだけできると放送局では重宝される。ところで当時の北ドイツ放送響の主席指揮者は2002年に無くなったギュンター・ヴァント氏。彼がこのオーケストラで録音したブラームス、ベートーベン、ブルックナーなどの殆どのCDのレコーディング、リハーサル、本番に立ち会うことが出来た。同時にドイツのマイスターについて録音の基礎から徹底的に学ぶ。 |